2022年9月16日、ミダスキャピタルが主催するキャリアセミナー 「In Her Shoes」が開催されました。主にスタートアップでCxOキャリアを志向したい人に向けたセミナーで、第1回となる今回の「Owning Your Success」はファシリテーターに申真衣氏、パネリストに中野円佳氏と嶋津紀子氏を迎え、会場参加とオンラインの双方で行われました。大学の同窓生という3人はトークの息もぴったりで、会場では真剣に耳を傾ける参加者の姿も目立ちました。その内容を前後編に分けて紹介します。前半はキャリアについて。大手企業を退社して新たな道に進んだきっかけ、そして挑戦への原動力とは?
◆プロフィール
中野 円佳 (なかの・まどか)氏(パネリスト)
東京大学男女共同参画室特任研究員/教育学研究科博士課程。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社入社。14年、立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、15年4月よりフリージャーナリスト。厚労省「働き方の未来2035懇談会」、経産省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員。著書に『「育休世代」のジレンマ~女性活用はなぜ失敗するのか?』『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか~主婦がいないと回らない構造』。キッズラインを巡る報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞。シンガポール5年滞在後帰国。
嶋津 紀子(しまづ・のりこ) 氏(パネリスト)
東京大学経済学部卒、スタンフォード大学経営学修士課程修了。 ボストンコンサルティンググループにて大企業の経営戦略立案やトヨタ自動車経営企画部への出向を経験。2018年にJapan Search Fund Accelerator(JaSFA)を設立、代表取締役社長に就任(現任)。JaSFAでは、日本初のサーチファンド専門ファンドであるYMFG Search Fundや、日本最大のサーチファンド専門ファンドであるジャパンサーチファンドプラットフォーム(JSFP)を立ち上げ、co-GPとして運用中。中小企業政策審議会金融小委員会委員。
申 真衣 (しん・まい)氏(ファシリテーター)
東京大学経済学部経済学科卒業。2007年ゴールドマン・サックス証券株式会社入社。金融法人営業部で金融機関向け債券営業に従事。その後、2010年より金融商品開発部にて、金利・為替系デリバティブの商品開発・提案業務、グローバルな金融規制にかかる助言業務等幅広い業務に従事。2016年4月、金融商品開発部 部長、2018年1月、マネージングディレクターに就任(当時最年少)。2018年5月、株式会社GENDAを共同創業。2019年6月より現職。
「社会問題の解決」「日本を良くしたい」という思いが原動力になる
申真衣氏(以下、申) 中野さんと私は大学の同級生。嶋津さんは学年はひとつ下ですが、東大の在学期間が重なっています。お互いのことはすでに知った間柄ですが、改めてこれまでのキャリアについて教えてください。
中野円佳氏(以下、中野) 最初のキャリアは新聞記者です。第一子出産後の育休中に大学院に通い、復職して1年半勤務して退職、その後転職を経てフリージャーナリストになりました。2017年から夫の転勤に帯同してシンガポールに滞在していましたが、東大の特任研究員の職を得たこともあり、2022年4月にふたりの子どもとともに母子帰国しました。
嶋津紀子氏(以下、嶋津) 新卒でコンサルに入社してキャリアを積み、スタンフォード大学に留学。帰国後の2018年にファンド・オブ・サーチファンドを立ち上げました。子どもは2人で、第一子は留学中に出産。第二子は創業後の2020年に生まれました。自分で経営しているので産休育休を調整しながらフレキシブルにやってきました。
申 それぞれ新聞社やコンサルなど、大企業出身です。転機を図ったきっかけはどんなことでしたか?
嶋津 私は当初からキャリアを思い描いていたわけではないんです。入社直後にリーマンショックがあり、とにかく何もかも大変な状況。そんな中で走り続けました。コンサルの次に何をやるかというイメージを持てないまま7年が過ぎ、キャリアを見直す目的も含めてスタンフォード大学に留学しました。
この留学はキャリアを考える機会でもあったのですが、そこでサーチファンドに巡り合って点と点がつながった感覚を得ました。ただ、いきなり退社して起業する勇気も出なかったので、育休中にどこまで形にできるかを探り、確証を得てから辞めたという感じです。
中野 私は25歳で結婚し、26歳で妊娠しました。もともと社会の抱える問題を発信したいという思いを抱えていましたが、子どもを身籠ったからテーマを見つけたとも言えます。修士論文を「『育休世代』のジレンマ~女性活用はなぜ失敗するのか?」というタイトルで出版したところ、ちょうど第二次安倍政権で女性活躍推進が盛り上がっていた時期で登壇依頼が増えたことなどもあり、自分の名前でもっと発信したいと思い、退職しました。
申 お二人とも精力的に活動されています。どんなことが挑戦を続ける原動力になっていますか?
中野 「目の前の問題を広く知らしめて解決したい」というのが基本的な原動力。スタートアップに興味を持つ人は0を1に変える思考かもしれませんが、私はネガティブを0に戻す思考。利益を求めるのが苦手かもしれない(笑)。
今は学生、研究者ともに8:2という東大の男女比率を変えると同時に、男性中心のカルチャーの改善に取り組んでいます。ただ、キャリアでいうと博士課程の学生を6年間やっているところなので、まだ途上とも言えます。査読論文を通すのに苦心していますが、フリーランスのジャーナリストだけでは実績を出し続けられるか不透明、アカデミアでやっていくためにはPh.D.がないとポジションに応募できないという問題もあるので、引き続きがんばるつもりです。
嶋津 高校時代の海外留学経験で、日本人としてのアイデンティティが強くなったのは大きかったです。日本のGDPを上げたい、そのために何ができるかと考えるようになりました。今取り組んでいるサーチファンドは、経営者を目指す人が投資家の支援を受けながら経営したい会社を探し、買収するというもの。日本では新しいモデルなので、認知して共感してもらうためのプラットフォームを作っているところです。「日本を良くするために働きたい」と考えてくれる仲間が日々増えていることが、やりがいにつながっています。
ピンとくるもの、情熱を持てるものなら諦めずに進んでみる
サーチファンドに出会った瞬間を「点と点がつながった感覚」と話した嶋津さん。それに対し、会場の参加者からは「もう少し詳しく教えてほしい」という質問が上がりました。
嶋津 まさに「ピンときた」瞬間でしたが、いつ何にピンとくるかは自分にしかわからないかもしれません。私は経営やビジネスに興味がある一方でマクロ経済的な視点を持っていたこともあり、コンサルの後のキャリアに悩んでいた時期がありました。サーチファンドなら日本の中小企業を元気にすることができるし、さまざまな地域に素敵な企業ができることで好きな場所を選んで働ける。東京に一極集中せず、日本全体を盛り上げることができるのではないかとも思いました。自分がインパクトを感じる仕事として、経営者やマネジメントとして飛び込むことは、コンサルの次のキャリアとしても面白い。留学前に抱えていたモヤモヤをサーチファンドが全てつないで解決してくれると感じました。
キャリアを考える上で、尊敬する人からかけられた、「迷うなら違う」という言葉が今も心に残っています。「そろそろリスクを取らないといけない」程度の気持ちで始めたことは続かないかもしれない。やらないと後悔すると思うようなことに出会う日がきっと来るから、それまでは無理に動かなくてもいいと教えられました。まさにサーチファンドの存在を知ったときに、やるしかないと確信できたのです。
中野 (PEPジャーナリズム大賞2021特別賞を受賞した)キッズラインをめぐる報道では、嶋津さんと同じような感覚を得ました。日経記者時代にシェアリングエコノミーや厚労省、子育て中の働く女性を取材していたこれまでの経緯が全て一つにつながった気がしました。東大で今のポジションを得た際も同様。先方の想定した人材とは異なっていたかもしれませんが、私のこれまでの経緯とともに、こんなことがやれる、やりたいという話をしました。おかげで今は東大のダイバーシティに関する方針の運用についてかかわり、発信を考えるようなポジションについています。
嶋津 日本人、特に女性は、気になる求人があっても「募集要項を満たしていないから応募してはいけない」と思ってしまう人が多いかも。でも募集している側は実はそこまで厳密に考えていないんですよね。5年以上の職歴と書いてあっても、人に比べて優れていると誇れる部分や熱意があれば4年でいいかもしれない。英語必須といわれても、入社してから勉強して追いつけばいいというところもあります。情熱を持てることなら、条件だけで諦めずに突撃してみるのも手だと思います。
登壇した申真衣氏、中野円佳氏、嶋津紀子氏(左から)
誰もがリスクは感じているが、「やったことは無駄にならない」
3人とも大手企業を退職して独立や転職などのキャリアチェンジをしています。その際の不安や「想定とのギャップをどう埋めたのか」という質問も参加者から挙がりました。
申 小さな会社に転職することで、情報不足による「想定外」リスクはゼロにできません。でも私は「2回連続失敗しなければいい」と考えています。1回の失敗であれば、すぐに巻き返すことはできるので。
嶋津 大企業を辞める人の多くは、リスクを感じていると思います。失敗したら今のような大企業にもう一度戻れるのかな、と。もし次のキャリアでスタートアップを検討するなら、誰がどんな決定権を持っているのか、その人がどんなモチベーションに突き動かされてるのかという点をきちんと見たほうがいいと思います。サーチファンドをやる目的も、アントレプレナーシップの追求なのか、地域のためなのか、中小企業のM&A活性化のためなのか、それぞれ思惑が違います。スタートアップにも創業者がいてアドバイザーがいて投資家がいるので、その座組みを意識してみるといいのではないでしょうか。
中野 新聞社の次のキャリアとして選んだのは、ジャーナリストや大学院生と兼務してもいいと言ってくれた、組織変革を手掛ける企業への転職でした。完全にフリーになるという怖さもあったし、会社側が引き留めてくれる状況で「次の仕事が決まっているので」と言わないと踏み切れなかったかもしれません。でも入社したら、自分の向き不向きとのギャップに気付きました。ビジネス向きの人間ではないのに利益を追わないといけないという苦しさがありました。「取引先企業で万が一不祥事が起きたら、ジャーナリストとして書きたくなってしまわないか?」。そんな心配もありました。結局夫の転勤もあり、2年で辞めることに。でも今はそのキャリアも無駄になったとは全く思っていません。大学のダイバーシティを推進をする中で、企業で携わったことが大いに生かされているから。長く続けられなかったとしても、やってきたこと自体は無駄にならないと思いますし、その会社にも感謝しています。
後編(次週公開予定)では、「ライフスタイル」をテーマに、育児や今後の生き方について触れていきます。