華々しい活躍を見せ、若くして出世したビジネスパーソンたちが考える、スピード出世術とは

若くして要職を歴任する若きビジネスパーソンは、これまでどのようにしてキャリアを築いてきたのでしょうか。スピード出世、スピードキャリアアップの秘訣はどこにあったのでしょうか。若くしてそれぞれの道で活躍される秋山友紀氏(写真右)、我堂佳世氏(写真中央)、申真衣氏(写真左)の3名に、これまでのご経歴と今後の展望について伺いました。

◆プロフィール

株式会社BuySell Technologies 社外取締役
Globe Advisors Ventures パートナー
秋山友紀(あきやま・ゆき)氏

2006年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、2007年UBS証券入社。2008年にヘッジファンドのSpeedwell/ Nezu Asia Capital Managementに入社。東京、シンガポール、香港オフィスに勤務し、アジア株・日本株のアナリスト・ファンドマネージャーとして企業分析・株式運用業務に携わる。2017年に帰国後ヘッジファンドのミレニアム・キャピタルで日本株のポートフォリオマネージャーとして従事。2019年スタートアップへの投資業務に従事。グローブアドバイザーズベンチャーズ パートナーとなる。2022年3月に社外取締役としてBuySell Technologiesに参画。

 

株式会社BuySell Technologies 社外取締役
我堂佳世(がどう・かよ)氏

2005年、大阪府立大学経済学部経営学科卒業後、日本生命保険相互会社入社。2006年9月ジェイコム株式会社(現ライク株式会社)入社。2012年6月29歳で経営管理部長。2014年8月31歳で東証1部(当時)上場企業最年少の女性取締役に就任。以来、グループの管理部門を管掌するほか、事業会社を統轄し、事業拡大と新規事業を推進。2021年8月38歳でライクを退任。現在は組織に属さず、さまざまな企業からの依頼を受け、管理部門・事業部門といった職種や所属にとらわれず、そのときに必要とされる役割を担っている。2022年3月に社外取締役としてBuySell Technologiesに参画。

 

株式会社GENDA 代表取締役社長
申 真衣(しん・まい)氏

2007年、東京大学経済学部経済学科卒業後、ゴールドマン・サックス証券株式会社入社。法人営業で金融機関向け債券営業に従事。2010年より商品開発部にて、金利・為替系デリバティブの商品開発・提案業務、グローバルな規制にかかる業務等幅広い業務に従事。 2016年4月、商品開発部部長、 2018年1月、当時同証券で最年少のマネージング・ディレクターに就任。2018年5月に株式会社GENDAを共同創業。 2019年6月より現職。

 

第一線で活躍し続ける3人のキャリア

証券会社からヘッジファンドへ、そしてグローバルでのファンドマネージャーの経験をもつ秋山氏

株式会社BuySell Technologies 社外取締役 秋山友紀(あきやま・ゆき)氏

――秋山さんの現在のご所属と組織としての強みについてお聞かせください。

秋山 今籍を置いているグローブアドバイザーズベンチャーズでは、スタートアップへの出資をしています。メンバーが出資者を含めて4人という少数チームで運営しているため、意志決定のスピードがとても速いことが強みの1つです。急な資金ニーズが発生した、予定通りに物事が進まない、といったときも最善の対応を素早く決めていけます。また、資本市場での投資経験を持つメンバーが多く、さまざまな業種で幅広く柔軟な対応も可能です。

市場を長く見てきた私たちがいずれも感じていた日本の上場市場の問題点は、上場のタイミングがいささか早いと感じるケースが多いということです。もっとステージを待ってから上場した方が大きく成長できるのに、上場を急いだがためにその後の成長が止まってしまう企業が少なからずあります。

私たちは、上場前の早い段階から上場株のプロフェッショナルの知見を生かしたサポートをし、長期的にサポートを続ける柔軟性を持っていることも強みです。

 

――秋山さんのキャリアとしては、証券会社やヘッジファンドでのご経験からスタートされたと伺っています。これまでのご経歴をお伺いできますでしょうか。

秋山 2007年に新卒でUBS証券に入社。その後、実際に投資をするバイサイドの仕事に魅力を感じ、2008年にヘッジファンドのSpeedwell/ Nezu Asia Capital Managementに転職しました。まわりからは、「こんなストレスフルな仕事、よくできるね」と言われたりもしましたが、ヘッジファンドは非常にフェアな仕事です。政治的な動きや駆け引きもない。毎日パフォーマンスが数字で表れ、稼いでいればみんな優しいです(笑)。確かにマーケットストレスは非常に強くありますが、私はそういうフェアなストレスになら耐えられるタイプでした。

 

――秋山さんはグローバルでもご活躍されています。

秋山 20代後半になると、海外で働きたいと考えるようになりました。当時、私は日本を含むアジア株のアナリストをしていて、日ごろから韓国や台湾の証券会社や事業会社のIRやマネジメントとして活躍する女性とのやり取りが多くありました。出張で彼女たちに会った際、活き活き堂々と仕事をする彼女たちの姿に憧れました。また、海外出張で欧米の投資家とご一緒する機会も多く、彼らの視野の広さに感銘を受け、私も広い視野を持てるよう、場所を海外に変えて経験を積みたいと思いました。

運よく、チームがシンガポールに移動することになりました。シンガポールはアジア系、中国系、インド系、欧米系といろいろな方がいて、まさに人種のるつぼです。彼らから得られる情報や刺激には、東京では得られないものもたくさんあり、投資家としての経験値をさらに積み上げることができました。その後、同社の香港オフィスで勤務し、2017年に日本に戻りました。

帰国後、ミレニアム・キャピタルに転職をし、東京オフィスでファンドマネージャーを任されました。
2019年にミレニアムを辞め、一度ファンドマネージャーのキャリアを閉じました。結婚して京都に住むことになったからです。多くの人から「もったいない」と言っていただきましたが、私の中では悔いはありませんでした。

ただ、11年間ずっと上場株に携わり、投資という仕事には魅力を感じていて、もし次やるとしたらロングタームで投資をやりたいとは思っていました。

そんなことを考えていた矢先、個人的にスタートアップへの出資をしていたUBS時代の先輩からお声掛けをいただきグローブアドバイザーズベンチャーズにジョインしました。今は京都と東京を行き来しながら仕事をしています。

 

サービス業界でのアルバイトからキャリアをスタート。31歳で大企業の取締役に就任した我堂氏

株式会社BuySell Technologies 社外取締役 我堂佳世氏

――我堂さんはサービス業界でのアルバイトから生命保険会社の営業職といった異色のキャリアを築かれています。これまでのご経歴を改めてお伺いできますでしょうか。

我堂 私は大学を卒業したら自営業をやりたくて、学生時代には飲食店でもアルバイトをしていました。ところが、その店が資金繰りに行き詰まり閉店。いったん企業に入ろうと、大学4年生の8月から就職活動を行い、新卒で日本生命に営業職で入社しました。保険の営業は、やってみるといろいろな中小企業の経営者と話せて得るものが多く、ある経営者から、「あなたがやりたいことを実現するためには、数字の勉強をしたほうがいいよ」とアドバイスを受けました。このことがきっかけになり、2006年に、前年に東証マザーズに上場したばかりのジェイコム(現ライク)に、勉強のため3年を上限として在籍しようと考え、経理として入社しました。

 

――ライクではどのような領域をご担当されたのでしょうか。

我堂 入社した当時のライクは、まだ人材事業しかやっておらず、売上も90億円程度でした。経理担当者はひとりしかおらず、有価証券報告書の作成担当者もいませんでした。それで、入社してすぐに作成を担当しました。

もちろん、会計のことなど何もわかりません。しかし、引き受けたからには絶対に途中で投げ出したくないと思い、色々と奮闘しました。監査法人等外部の専門家に聞き、さらに必要な知識の習得法を教えてもらいながら独学で徹底的に勉強しました。そのうち前職で営業をやっていたことが耳に入り、営業責任者との接点が増える中で、二足のわらじを履くように。

入社3年後にホールディングス化し、事業領域を拡大していくことになりました。人材事業だけでなく、保育事業から介護事業まで、M&Aで事業領域を拡大しようという戦略です。管理部門・事業部門に関わらず部門横断で動いていて、社内で誰もやったことがないことを担当していたので、自然と、そのM&A並びに買収後の運営を担当することになっていました。

やはり、引き受けたからには絶対にやり遂げようと、M&Aのことを猛勉強しました。買収候補のピックアップ、調査から契約まですべてひとりでやっていました。

入社面接の際に3年で退職する意向であることは告げていましたが、27歳のとき、経営陣からやりたいことでできていないことがあるか聞かれ、思い当たることがなかったので、副部長を引き受ける流れになっていました。このときから担当する領域がさらに増え、2012年、29歳のときに経営管理部長に就任、2014年に31歳で取締役に就任することになりました。

 

――2021年にライクを退任された後はどのような業務を担当されているのでしょうか。

我堂  現在は、本業を持っていません。これまでの経験だけでなく、さらに知見と視野を広げて提供できるサービスをブラッシュアップしたいこともあり、今は組織に所属せず、いろいろな業界の会社からオファーをいただいては、さまざまなご要望に日々対応しています。前職では管理部門、事業部門の責任者など広くやってきましたので、営業や新規事業の立ち上げを手伝う会社もあれば、事業計画の策定やKPIの管理、上場業務等を手伝っている会社もあります。

周囲からはいずれ経営コンサルタント等の会社を立ち上げるのかなどと聞かれることもありますが、今はもう少しゆっくり時間をかけて、次のことを考えて行こうと思っています。

 

新卒でゴールドマン・サックス証券へ。若くしてマネージング・ディレクターに就任、そしてGENDA創業へと躍進した申氏

株式会社GENDA 代表取締役社長 申 真衣氏

――申さんはゴールドマン・サックス証券のご出身で、若くしてマネージング・ディレクターに就任されています。改めてこれまでのご経歴についてお聞かせください。

 2007年に新卒でゴールドマン・サックス証券に入社しました。大学で金融工学を専攻しましたので、投資銀行を目指すのは自然な流れでした。法人営業部で金融機関向けの債券営業などを経験したのち、金融商品開発部のポストに応募し、面接を受けて同部に異動しました。ここではデリバティブの商品開発や提案業務、グローバルな金融規制に関する助言業務など、幅広い業務に従事しました。すごく自分に合った仕事ができたと感じましたし、仕事の幅を広げることもできて充実した日々を過ごしました。

2016年4月に金融商品開発部の部長に就き、2018年1月に33歳で外資系金融会社の1つの到達点であるマネージング・ディレクターに就任したときは達成感を味わうことができました。

 

――その後、GENDAを立ち上げられました。現在のGENDAの事業内容についてお聞かせください。

 GENDAはゲームセンターの運営などアミューズメント事業を展開し、現在、国内約200店舗を運営しています。国内のゲームセンター市場は、コロナ禍以前は5400億円規模で、2014年から成長をしてきた市場です。コロナ禍が終われば再度成長モードに入ると考えています。キャッシュフローが出るビジネスなので小さな事業者が乱立している環境で、大手が新規参入することは長い間起きていません。今年1月に24店舗のアミューズメント施設を運営する同業者の全株式を取得するなど積極的にM&Aを展開していて、市場シェアを高めたいと思っています。現在の事業規模は国内3位ですが、4年以内にナンバーワンになることを目指しています。

ゲームセンター事業のほかに、アミューズメント機器のレンタル事業も展開していて、現在100社以上のアミューズメント施設にレンタルしています。また海外では台湾とアメリカでアミューズメント施設を運営するほか、中国ではアミューズメント機器のレンタルと景品販売事業を展開しています。

 

若くして重要なポジションで活躍する3名のビジネスパーソンによるキャリア座談会

スピード出世に正解はない

――なぜスピード出世できたとお考えですか。あるいは現在の心境をお聞かせください。

秋山 スピード出世したいという意識は全くありませんでしたが、その時々の業務に必死に取り組むことで、次にやりたいことがはっきりとし、その業務に適切な場所を選んできたという認識です。シンガポール、香港、東京という異なるビジネス環境に身を置いたことは、確実にキャリアにはプラスになったと思います。世界中、どこの国でも働けるなという感覚はあります。

我堂 3年で辞めると言って入社したライクに15年も在籍しましたが、現在も含め、一度も偉くなりたいと思ったことはありません。役職については、取締役だから偉い、社長だから偉いということはなく、取締役や社長という係の人だと考えています。もちろん、役割と一緒に責任が伴いますから、引き受けるときは責任を取ることができるよう必要な知識・スキルを習得するだけでなく、すべてのステークホルダーに対し誠実であるよう、腹をくくり、覚悟を決めて引き受け務めています。

 ゴールドマン・サックスのマネージング・ディレクターに就任する少し前に、『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』という本を読んで、人生100年時代にどんなキャリアを積めば幸せな人生を歩めるのかと考えるようになりました。100歳まで生きるとしたら80歳までは仕事がしたい。ということはつまり、あと50年働くことになります。金融業界は好きですが、あと50年金融業界の中で働き続けることはイメージできませんでした。また、それまではいかに速くキャリアアップするかを考えていましたが、80歳まで働くことを意識した瞬間、いかに長くキャリアを味わい続けられるかのほうが、幸せな人生を歩めるのではないかと考えるようになりました。

そんなとき、GENDAの共同創業者となる方との出会いがあり、一緒にやってみることに。2018年5月に株式会社GENDAを共同創業し、2019年6月から現職に就きました。

 

他人の時間の大切さを意識する、嫌われることを恐れない、常に謙虚に。三者三様の仕事術

――皆さんが仕事をするうえで意識しているポイントは何ですか?

我堂 仕事というのは基本的にあらゆる人の時間を拘束することになるので、人の時間を奪っているということを常に意識しています。働き方が多様になる中、依頼の仕方でパフォーマンスも変わるので、例えば、この仕事はだいたい何時間かかるとわかったら、早めに判断して依頼する等工夫しています。同じ理由で、コミュニケーションや情報共有の方法を工夫し、むやみにミーティングをしないことにも気をつけていました。

 私は嫌われることをあまり恐れないようにしようとしてきました。言いにくいことでも言わなければならない瞬間はありますよね。そういうときでも、「嫌われるかもしれない」と考えてひるまないように心掛けてきました。

秋山 私が20代の頃から意識してきたことは、毎日進化しようということ、いつも謙虚でいようということ、それにちゃんと結果を出すということ、この3点です。毎日進化するというのは、私の株式運用の師匠の1人に言われたことですが、そう意識しなければ、パフォーマンスも平凡なものになってしまうと考えています。

 

――仕事で壁にぶつかった際、どのように乗り越えてきましたか?

我堂 壁にぶつかることばかりでした。始末書提出数も一番ですよ(笑)。社外の人とプロジェクトを組むと、すごく優秀な人がいて、その人を目指そうとするけれど全然できなくて落ち込むこともありました。そんなときは人に相談して慰めてもらう。そうやって乗り越えてきました。

 私も同じ。壁はありすぎるほどありました。でも定型の乗り越え方はないのでは、と感じます。壁を避けて逃げたこともありますし、時が解決してくれたこともありました。

秋山 私も壁だらけ。新卒のときなんて体力がなさすぎて、雑用すらちゃんとこなせていなかったのでは、と思いますよ(笑)。

 

若くして出世を果たした彼女たちだからこそ考える、キャリアを築くうえで本当に必要なこと

――スピード出世するうえで、大切なことは何だと思いますか?

我堂 出世したいと過剰に思わないことだと思います。人と比較して自分のポジションがどうかを強く意識している人で出世した人というのも、あまり見たことがないように思います。

 私はすごく計画を立てるタイプで、スピードも意識していました。昇進やパフォーマンスの目標を立て、今自分がどういうゲームをプレイしているかを意識することを心掛けていた。昇進するには何と何が必要なのか、自分に足りないものは何なのか、仮説を立てた上で上司にヒアリングするようにもしていました。

我堂 申さんは出世に必要なピースをちゃんと計画に沿って組み立てられる人なのですよ。私はどちらかというと目の前にある仕事を着々と、一所懸命にこなしてきただけです。

秋山 私も我堂さんと同じで、目の前にある仕事をただただ必死にこなしてきた、というイメージですね。

 

――最後に今後の展望として、これから取り組んでいきたいこと、目指すべき未来をお聞かせください。

我堂 せっかくいい経験をしてこられたので、私の経験を必要とするところに還元して、よりよい世の中をつくっていきたいという気持ちがあります。特に次世代のために私が培った能力を使っていきたいです。

秋山 最近思っていることは、新しい価値や事業を創り出している企業に、サポート出来ることがあれば、私の今までのすべての投資家経験を活かして役に立ちたいということです。スタートアップに限らず新しい価値を生み出そうとしている企業であれば、ぜひ私の経験を還元していきたいと思っています。

 私はとにかくまず、自社の成長ですね。売上も利益もそうですし、直近の目標としてはやはり、ゲームセンター市場でトップの企業に立ちたいと考えています。

 

――ありがとうございました。

New Articles

最新記事
Midas Talent
Ranking

Ranking

記事ランキング

Recruiting

ミダスキャピタル、及びミダスキャピタル出資先企業群にて、世界に冠たる企業群を創りあげるというビジョン実現のために、傑出した実績や才能を持つ人材を積極的に募集しています。

To Entrepreneur

ミダスキャピタルでは一般的な株式の買取だけではなく、株式を現物出資することによって企業オーナー様がオーナーシップを保有したまま、ミダス企業群を形成する一社として長期に渡り企業価値最大化のお手伝いをさせて頂くことが可能です。