「CFOキャリアセミナー」レポート前編:証券会社、監査法人、高年収を捨ててでも事業会社CFOのキャリアを選択したワケ

2021年7月、ミダスキャピタルが主催で「CFOキャリアセミナー」を開催した。

登壇したのは、30代の若さで上場企業の最高財務責任者(CFO)を務めている3人だ。いずれも、新卒では証券会社や監査法人といったプロフェッショナルファームで高年収で働いていたにも関わらず、事業会社にキャリアチェンジをしている。セミナーでは、事業会社のCFOという仕事の魅力や、CFOのキャリアを歩むために若手のころに大切にすべきことなどについて、トークが繰り広げられた。

本記事では、前編と後編に分けて、セミナーのレポートを伝える。前編では、CFOのキャリアを歩むことになったきっかけや、数ある事業会社の中から今の転職先を選んだ理由などについて、紹介したい。

 

■登壇者プロフィール

 

UUUM株式会社 取締役CFO
渡辺崇氏

2005年にゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。2010年に同社ヴァイス・プレジデント就任。2005年から2014年まで、証券アナリストとして、民生電機業界やインターネット業界を担当。2013年には米国の機関投資家向け経済誌「Institutional Investor」において、民生電機セクターのランキング3位。2014年にUUUM株式会社に入社し、取締役CFOを務める。

 

株式会社Gunosy 取締役CFO
間庭裕喜氏

2005年に東京大学理科一類工学部を卒業後、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。2015年にクービック株式会社に取締役として参画。2018年10月に株式会社Gunosyに入社。2019年8月から、同社CFOに就任。Gunosy Capital取締役も兼務。

 

株式会社コロプラ 取締役CFO
原井義昭氏

大学3年時に公認会計士試験に合格。2011年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、有限責任監査法人デロイトトーマツに入所し、ベンチャー・中堅企業の株式公開支援業務や上場企業の会計監査業務に従事。監査法人で約4年間の勤務を経て、2015年に株式会社コロプラに入社。M&Aやグループガバナンス体制の構築、コーポレートガバナンス強化などを実行し、2018年に30歳で取締役に就任。

 

<ファシリテーター>

株式会社ミダスキャピタル 取締役パートナー
寺田修輔氏

東京大学経済学部を卒業後、2009年にシティグループ証券株式会社で株式調査業務や財務アドバイザリー業務に従事。ディレクターや不動産チームヘッドを歴任。2016年に株式会社じげんに入社。取締役執行役員CFOとしてM&Aを中心とした投資戦略、財務戦略、経営企画の統括や東証一部への市場変更、コーポレート体制の強化をけん引。2020年7月から株式会社ミダスキャピタルに取締役パートナーとして参画。

 

目の前の仕事をやり切ることで、CFOへの道は切り拓ける

 

寺田:最初に、CFOというキャリアを考え始めたきっかけを教えてください。

 

渡辺:大学時代、僕は明確にCFOになりたいと思っていました。経営コンサルタントへの憧れから、経営やファイナンスの勉強をする中で、ファイナンスのすべての事象をお金に置き換えて判断するという考え方がとてもわかりやすく、自分に合っているなと感じて。その延長線上でCFOという仕事を知りましたね。

 

ただ、いきなりCFOになれるわけではないので、金融機関に就職しようと、ゴールドマン・サックス証券の投資調査部門に入社し、家電やインターネットのアナリストを担当しました。アナリストの仕事は天職だと思えるほど、楽しかったです。多くの仕事は制約の中で仕事をすることが多いと思うんです。例えば、家電メーカーの社員でプリンターを販売するとします。他社のプリンターの方がお客さんのニーズに合っていると思っても、自社のプリンターをお勧めしないといけませんよね。アナリストの仕事は、こうした制約がありません。様々な会社を取材して、純粋に会社の素晴らしい点を、自分の意見としてレポートにまとめることができるんです。そういう部分がとても魅力でしたし、常に好奇心が刺激される楽しい日々を過ごしていました。

 

一方で、アナリストはアウトサイダーの情報しか取得できません。世の中に出てくる情報の裏側では、事業会社でさまざまな軸で意思判断が行われている。事業会社での意思決定プロセスを、自分でも経験してみたいという気持ちはありました。また、インターネットを担当してからは、僕より若い人たちが新しい市場をどんどん創り上げていく姿を見て、僕も負けていられないなと刺激を受けましたね。こういう思いやタイミングが重なり、事業会社への転職を決めました。

 

間庭:僕の場合、CFOを目指そうと思っていた訳ではないんです。ただ、CXOは常に意識していたように思います。そのきっかけは、大学時代に先輩を通じて経営者に会ったことです。サイボウズ創業者の高須賀宣社長(当時)にお会いしたのですが、経営者の視点、考え、何より会社を動かし世の中に価値を生み出す経営者という仕事に圧倒されました。いつか自分も会社を動かす中心的な存在として、世の中に影響を与えられるようになりたい。その時に、漠然と経営者に憧れと尊敬の念を抱きました。

 

その後、ゆくゆく経営に関わることを見据えて、金融で投資の仕事を選びました。そして未上場の会社や不動産に投資をしていくうちに、事業会社の方との接点が増えていき、次第に「事業会社で未来をつくる仕事がしたい」という気持ちが強くなっていきました。

 

金融業界にいらっしゃる方には耳障りのいい言葉ではないかもしれないのですが、金融では過去の数字をもとに将来を予測することが多い。でも、事業会社の人は過去より先のことを見る。そういう未来を見る姿勢に触れて、自分自身もそのような生き方がしたいと思ったのが、転職の理由です。

 

原井:大学時代に取得した公認会計士の資格は、試験科目に経営学があります。その勉強をする中で、「CFOという仕事があるんだな」とおぼろげに意識はしていました。資格取得後に、監査法人でキャリアをスタートさせましたが、お客様と仕事をする上で、直接CFOや社長と話をする機会が多くあり、会社を動かす仕事のかっこよさを、肌で感じるようになっていきました。会計士の場合、会社の中のことも知ることになりますが、そうするうちに、会社のファイナンス全般に責任を持つCFOの仕事の解像度が上がっていき、選択肢として浮かんできた感じです。

 

実際に事業会社に転職したのは、26歳のときです。結婚をしたり、子どもが生まれたりとプライベートでの変化があり、このままプロフェッショナルファームで働き続けるのか、事業会社で働くのかを考えるタイミングがあったこと。そんなときに、現在の会社から誘っていただいたことがきっかけになりました。この時も、すぐにCFOということではなく、いち社員として経理や総務の仕事からスタートしていて、CFOはその先になれたらいいなくらいの温度感でした。

 

CFOが見えてきたのは、「求められることにしっかり応える」ことを続けていたからでしょうか。会社がM&Aでグループ会社を増やしていくタイミングで、経営企画の組織の立ち上げを担わせていただいたことを機に、様々なことを任せてもらえるようになって。とにかく何でも屋のように、目の前のニーズに一つ一つ丁寧に真剣に応えていきました。それが結果的にCFOにつながったと感じています。

 

 

転職先を選ぶキーワードは、「人」「ポテンシャル」「ワクワク」

 

寺田:お三方の場合、転職しようとした際、引く手あまただったと思います。事業会社の中から転職先を選ぶ軸は何だったのですか?

 

原井:大事にしていたのは、「この人と働きたいか」、「この人のために頑張りたいと思えるか」です。そういう意味では、もともと現在の会社の上場支援をしていましたし、設立2期目の社員数50人くらいの時期から5年ほど関わっていて、会社の雰囲気もよくわかっていましたから、あまり迷うこともありませんでした。他の事業会社と比較して選ぶこともなく、決め打ちでしたね。

 

間庭:僕は2回転職していますが、2回とも軸になったのは「人」でした。1回目の転職先は、大学の同級生が社長をしていた会社です。2回目の転職先であるGunosyとの出会いは、大学時代のインターン先の会社の先輩で、現在の代表取締役会長の木村新司さんに声をかけていただいたことでした。

 

特に、Gunosyへの転職では、次の5年後、10年後、自分がどういうキャリアを歩みたいのかや、世の中がどうなっているのかを見据えて、本質的に世の中に価値のあることをやりたいと考えていたので、とてもいいお話だと感じました。

 

渡辺:僕の場合は、アナリスト時代に家電を担当してきて、テクノロジーの負の歴史を見てきたので、真逆の世界を選ぼうと思っていました。今でこそソニーはピカピカの会社に変貌を遂げていますが、僕がアナリストを担当していた当時は、家電メーカーではリストラが相次いでいました。どれだけすごい技術があっても、すぐに真似されてしまう。テクノロジーで追いつかれた瞬間の価格破壊のスピードも半端じゃない。テクノロジーの脆さを痛感していたんですよね。だから、AIやテクノロジーで置き換えづらい業界に行こうと思っていました。

 

またインターネットは、既存の産業を置き換えていくことができます。テレビの領域は既得権益が守られているけれど、2兆円規模の市場があり、その10%でも20%でも置き換えられたら、市場規模は大きい。当時は、この領域が伸びるか確信は持てていませんでしたが、サービスが決まっていて成長させるだけの会社より、紆余曲折があってもポテンシャルのある会社の方が面白そうだなと考えて、今の会社を選びました。

 

寺田:かなり戦略的に考えられた上で、最後はワクワクするかどうかだったんですね。その時は、会社のフェーズとしてもかなりアーリーでしたよね?

 

渡辺:入社を決めた頃は5人くらいでしたね。ちょうど採用を活発化させていた時期で、実際に入社するころには30~40人くらいになっていました。

 

給料は大幅に減少、それでも事業会社で働きたかった

 

寺田:原井さんの転職先であるコロプラさんは上場企業でしたが、間庭さんと渡辺さんはかなりアーリーステージのスタートアップに飛び込まれて、お給料の面でもかなり変化があったと想像できます。ご自身の中での葛藤や家族からの反対はなかったんですか?

 

渡辺:間庭さんの部署はゴールドマン・サックス証券の中でも、戦略投資部という花形の部署で、すごく稼いでいる部署なんですよ。だから、ベンチャーに転職すると聞いたときは、信じられませんでしたよ。

 

間庭:転職して一般的な新卒の初任給より低い給料として出直した感じだったので、結構衝撃的なくらい下がりました。でも妻は、「失敗してお金がなくなったら地元で農業でもすればいいよ」という「好きにしなさい」タイプで、反対はありませんでした。プロフェッショナルファームで10年間働いていたので、それなりに貯金はあるつもりでしたし。それでも、ある程度の給料をもらえるようになるまでの2年弱は、ものすごい勢いで貯金がなくなっていきましたね(苦笑)。

 

渡辺:間庭さんほどではないにしても、僕も給料はけっこう下がりました。でも、ゴールドマン・サックス証券では、どこまでいってもサラリーマンでしかありません。リーマンショック以降、成果を上げているつもりでも、思ったように給料が上がらないということも経験していました。一方で、ベンチャー企業の場合、頑張ったら頑張った分だけ、会社が大きくなり、経験も積める。会社が大きくなれば、株式資本の単位も上がる。すべてが一致するので、コミットしがいがあるなと思っていました。この先の10年間を考えると、やる気が出ましたね。

 

とはいえ、家族にとっては目先の給料は減ることになるので、妻と妻の家族、そしてうちの家族で旅行をしたときに、朝食を食べながらプレゼンしました。「なぜ転職するのか」という資料を用意して。そこで、「食いっぱぐれなければいいよ」と、許可をもらいました(笑)。

 

 

「CFOキャリアセミナー」レポート後編

30代で上場企業を務める3人のCFOが語る、若手のうちにやるべきことにつづく

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